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「病気の問屋だった私」―――ナウシカさん


 私は学会二世で、4歳の時に母と妹の3人で婦人部の方に折伏され入会しました。
 「この御本尊様は何でも願いが叶うのよ〜」と言われ、子供心に嬉しかったのを覚えています。
 5歳の頃には毎日15分の題目に挑戦し、池田先生にもお会いすることができました。
 先生はあの頃と全然変わらず、いつも私の心の支えとなっています。

 入信動機は、私が小児喘息と吃音(ど●り)があったのと、年子の妹が脳性マヒで足が悪かったためです。
 信心に励む中、私は喘息も治り、言葉も上手く話せるようになりました。
 一生立つことも歩くこともできないと言われていた妹は、4歳の頃には歩けるようになり、知能も遅れていると言われていましたが、高校まで普通
 学校に通い、無事卒業することができました。
 この初心の功徳で、私は未来部の頃から疑うこともなく、この信心に励むことができました。

 しかし、家族の中では父だけが未入会で両親の仲が悪く、喧嘩の絶えない毎日でした。
 父はお酒を飲んでは母に暴力を奮い、私が高等部の頃、御本尊を不敬されてしまいました。
 私はあまりのショックに死んでお詫びをしようとしましたが死にきれず、地獄のような日々を過ごしました。
 母がやっとの思いで一人折伏ができ、また御本尊をお受けすることができましたが、両親は私が高校3年の時に離婚し、母と妹と3人だけの生活が始まりました。
 私は大学進学を諦め、看護学校に進むことにしました。
 朝と夜、病院で働きながら、昼は学校に通う忙しい毎日を過ごしていました。
 そんな頃、仕事中に左肩を脱臼してしまい、レントゲンを撮ると肩の骨にゴルフボール位の穴が開いてることがわかりました。
 原因不明で手術を勧められましたが、女子部の先輩に「手術しなくても済むように骨に染み渡るような題目を上げていきなさい」と激励され、本当に真剣に唱題に励みました。
 そして一週間後精密検査を受けると、ポッカリ開いていたはずの穴はすっかり埋まって無くなっており、病院の先生も首を傾げていました。
 私自身もびっくりして、大きな確信をつかませて頂きました。

 それから一年後、今度は突然耳が聞こえにくくなり突発性難聴になってしまいました。
 ナースコールの音にさえ気付かないほど難聴が進行してしまい、「看護婦はもう諦めなさい」と言われ、看護学校を中退することになってしまいました。
 深い絶望感と挫折感で、どんな仕事をしても長続きはせず、当時付き合っていたリハビリの先生をしていた彼と結婚することを夢見るだけになっていました。
 しかし、彼は学会が大嫌いで「結婚したいなら学会をやめろ!」と言われました。
 私は御本尊のない地獄のような日々を経験していたので、これだけは譲れないと彼を折伏することにしましたが、真剣に祈れば祈るほど彼と会えない状況になっていき、彼とは縁がないんだと確信でき別れることになりました。

 そして女子部の活動に真剣に取り組んでいる中、池田先生のナイチンゲールのご指導に触れることができました。
 「君達は立派な偉業を成し遂げたナイチンゲールのようには、なれないかもしれない。
 またなる必要もないかもしれない。
 しかし、信心、一念、精神だけは、決してナイチンゲールに負けてはならない。」
 このご指導に悩み祈る中で、一度は諦めた看護婦の道に再び挑戦することを決意しました。
 病院で看護助手として働きながら受験勉強をし、無事准看護学校に合格することができました。
 耳は依然難聴のままでしたが、周囲に守られながら何とか卒業を勝ち取り、准看護婦の資格を取ることができました。
 そして在学中には、創価大学の池田記念講堂で行われた関西総会にも代表で参加させて頂き、池田先生に再びお会いすることができました。

 難聴の方も諦めず祈り続ける中で、先天性の耳硬化症という病気であることが判明しました。
 難しい手術であると言われましたが、絶対に治すんだとの決意のもと、手術は大成功に終わり、担当の医師からは「良い症例として研究したいので、医学会で発表させて下さい」とまで言って頂きました。
 耳が聞こえるようになり、本当に世界が変わったような感じでした。

 そして正看護婦を目指し、進学コースの看護学校に入学しましたが、今度は極度のストレスでうつ病になってしまいました。
 まさか…私が…という信じられない気持ちで、毎日(死にたい死にたい)とばかり考え、もう泣く気力さえも失ってしまい、眠れない息苦しい毎日を過ごしていました。
 そんな時、御本尊の前でやっとの思いで題目を一遍だけ唱えることができ、その場で泣き崩れてしまいました。
 その夜は久しぶりにぐっすり眠ることができ、心療内科にかかる勇気も持てました。
 学校は残念ながら中退し、抗うつ剤を服用しながらカウンセリングを受けるようになりました。
 自分のあまりの宿業の深さに思い知らされる毎日でした。
 学会活動は気分のいい時だけ参加させてもらい、4ヵ月後には聖教新聞の代配もさせてもらえるほど回復し、抗うつ剤も服用しなくてもいいまでになりました。
 現在は月1回の割合でカウンセリングのみ通っています。

 体の病気も、心の病気も経験し、障害者の妹も持ち、患者さんやその家族の気持ちも痛いほどわかり、妙法のナイチンゲールになるべくしての悩み、苦しみだったのかなと思います。
御本尊のご仏智だったんだなと、今ではこのことを感謝できるまでになりました。

 現在は未入会ながらも学会に理解のある主人にめぐり会い、2歳になる娘にも恵まれ、元気な日々を過ごさせてもらっています。
 そして娘が生まれた時に、池田先生にご報告させてもらったら『地球は美しい』という写真集もご伝言と共に頂くことができました。
 まだまだ私自身、悩みや課題はたくさんありますが、この関西広布50周年、池田先生と奥様のご結婚50周年という意義深きこの時に、一家和楽の信心を築き、夫婦共々に広布の庭で闘っていけるように、未入会の主人を折伏していく決意です。

 池田先生のご指導に
「もう、これ以上できない…そこでやめるか、”いよいよこれからだ”と立ち上がるか、このわずかな 、”一念”の差が人生の大きな分かれ目になってしまうのである。
 いったん決めたら、続けることである。
 目標を達成するまで、忍耐し努力し続けることである。
 叩き続ければ、”勝利の扉”は開かれる。
 結論すれば人生の勝敗を決めるものは、すべて自分の”一念”である。
 ”心の持ち方”である。
 この”一念”の勝利者こそ、真の勝利者である」とあります。
このご指導を生命に刻み、どんなことがあっても乗り越えていく決意です。
どうかよろしくお願いします。