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「カズのうつ病体験記」―――カズさん はじめまして。私は、3年前(2001年)創価学会に入会し、2年半前にうつ病にかかりました。 私は浄土宗の家に生まれ、物心ついた時には、母から念仏を唱えることを教わり、毎日仏壇の水の交換、朝晩念仏を欠かさず唱えてました。今思うと、背中から冷や汗が出るような、思い出です。(学会二世の人がうらやましい(笑))まさに、学会二世念仏バージョンみたいな少年時代をすごしました。そんなこんなで22歳の時結婚しました。妻は学会三世でした。妻はあまり信心がなかったせいか、私には自分が学会であること以外口にしなかった為、創価学会が何であるか知りませんでした。当時家の中には、神札や、お守り、くまでまで飾ってありました。今でも妻に言われるのは、本当に当時は毎日気持ち悪かったと。確かに今の自分がその立場にあったら、速攻、法傍ばらいで粉々にして、捨てていただろうと思い、申し訳なかったと思っています。 そして、学会に入会したのは、丁度25歳の時、仕事で新潟県の上越市に転勤していた時です。ある夜の4時ぐらいに急に妻が呼吸がおかしくなり、声を掛けても返事もせずどうにもならなくなり、あわてて救急車を呼ぶ惨事になり、妻の看病をするため、その日から私は仕事に行けなくなってしまったのでしまったので、急きょ、妻の母に仕事の調整が出来るまで、神奈川から来てもらいました。そして母の帰る最終日に仕事が終わって家に帰ると、急にかしこまって、母は私にお願いがあると。いきなり言われたものだからドキッとしました。たしかに当時私はものすごく借金があり、離婚してくれと言われると思いました。そしたら二言目に創価学会に入って欲しいといわれ、私はよかった〜なんだそんなことかと思い、即了承しました。その時は、母も妻もとても喜んでました。なんでそんなにうれしいのかなと当時は思いました。今思えば、なんておいしい折伏なんだろうと。何も仏法対話なしに即入会。普通ありえないですよね。(笑)私は妻の母の言う事だから怪しくはないであろうと思って、何も知らずに半分楽しみに、入会の日を待ちました。 仕事の調整がきき、長期休暇を頂き、地元の埼玉に戻って来ました。まず、面接があると言われ、神奈川から来た2人の婦人に会いました。そこに来た婦人の方がこれまたすばらしい方で、もう満面に太陽をあらわしたような方でした。面接と聞いていたから私は少しドキドキしていました。何を聞かれるのかなと。志望動機はと聞かれたらどうしよう。何も知らないから動機もくそもないな。困ったぞ。そしたら、日常会話で終わり、ただ名前と住所等を書いただけで終わり、内心よかったと思いました。今思うと入会カードをあの時書いてたんだなと。それを素直に書いてた私はなんて真面目なんだろうと。でもご本尊様に私のような人を折伏させて下さいと祈ってもそんな安易な人出てこないんですよね。(笑)そして、2001年2月6日晴れてご本尊様を頂く事が出来ました。あの日の事は今でも忘れられない位、最高の思い出です。そしてご本尊送りとわざわざ神奈川から新潟の奥地上越まで、3人も来て頂けました。しかも交通費自己負担でしかも往復3万円以上もかかるのに、さらに大雪の中を。私は心底感動しました。学会の人はなんてすばらしいのだろう。私一人のためにここまで真心こめて面倒みてくれるのだろうと。私はその時決意しました。私は生涯、立派な学会員になって恩返ししようと。今でも入会の時の写真を見てそこに写っているすべての人のご健康とご長寿と無事故、地域の大勝利と一家和楽を御祈念し報恩感謝の気持ちでいっぱいです。その時一番面倒を見てくれ今でも良い相談役になってくれている、O婦人部長は、私の第二の母と思っています。本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。 そして妻はうつ病にかかっていました。この信心をすると妻の病気が良くなると聞いたので、私は一生懸命、勤行しました。当時勤行より題目の方が勝れていると言う事を知らなかったのです。でも不思議でした。南無妙法蓮華経を唱えたり、勤行する事がとても楽しく思えたのです。そして聖教新聞を読みました。そして初めて行った本幹同中で池田先生を見てスピーチを聞いた時なぜか涙が止まりませんでした。なんてすばらしい人なんだ、この世にこんな人がいたんだと。私はやっと求めていたものや人にめぐりあえた気がしました。昔から真実を求めていました。何が本当の真実なんだろうと、何で私は生まれて来たのだろうと。その答えが少し分かった気がしました。 そして入会してから半年後、群馬県の高崎市に転勤しました。そこで私はうつ病になりました。初めはわかりませんでした。仕事に追い詰められ、家に帰ると、うつ病の妻は日に日に落ち込んでました。そして会社の人事に騙され、引越し代はでたもののアパートの入居費用が出ず、40万円借金させられ、もう息のつくところがなくなり、それでも題目をあげました。それでもすっきりせず、まだ引っ越して着たばかりでしたので、身近に相談出来る組織の人がいませんでした。そして悩んだあげく、私はまだ信心が浅かったせいか、自殺しました。睡眠薬70錠位、精神薬100錠以上のみました。2日間位意識はありませんでした。そして3日目奇跡的に意識が戻りました。そして目が覚めたとき、妻がベット横で泣いてました。私は本当に申し訳ないことをしたと思いました。もう2度と妻や家族に心配かけさせないと誓いました。私はそれから本格的にうつ病との戦いが始まりました。途中で何度も死にたいとおもいました。しかしあの時の事を思い出すと、自殺は出来ませんでした。私はあの日死にました。今いるのはご本尊より生を受け、広宣流布つらぬき、地涌の菩薩として生きていくための使命がある仏の命。絶対に切ることは出来ない。だから私は何があっても、生きていく。例え、何もかも失ってもこのご本尊と信心だけははなさない。そして退院し2ヶ月後、仕事を辞めて埼玉に帰ってきました。そして私は創価班26期生として活動を開始しました。念願だった、母、弟、兄を折伏し2002年2月ご本尊流布する事が出来ました。猛反発の父を説得出来、念仏の固まりの様な母側の祖母を説得し、実家にご本尊を御安置する事が出来ました。そこで初めて色々な事実が発覚しました。父は昔学会に、家族で入会していた事。でも選挙が原因かどうかはっきりしないが、退転した事。親戚のほとんどが、学会であった事など。私は親戚の家にほとんど行った事が無く、親戚はいないものかと思っていたら、ただ父が学会から逃げてただけだった事。なんかよく分からないけど、私は隠れ三世だったようだ。今までのいきさつが分かるような気がしました。そんな感じで私は母から念仏を教わり、その母に法華経を教えた。最高の親孝行だと思いました。 そして秋の創価班大学校生大会の首都圏実行委員の代表までさせて頂きました。私はうつ病は克服したものだと思ってました。しかしそんな甘くはありませんでした。そして10月に入り体に異変を感じました。急に朝起きれなくなり、極度の疲労感も感じ始めました。何かがおかしいと。最初はうつ病の再発と認めたくありませんでした。そんな時しばらくがむしゃらに折伏に走っていたものですから、母の事は組織にまかせっきりでした。そんな他人任せにしてたせいか、最悪の状態を引き起こしました。思い出したかのように、実家に行ってみると、ご本尊様がなかった。どうしたか母に聞くと父が会社の左遷を理由にしまってしまったと。しかもなんとお粗末にしまっているではないか。まるでゴミ扱いだ。怒りがこみ上げたが我慢した。あくまでも親だ。ここは我慢しなくてはと言い聞かせ、持ち帰る事にしたら、父と母はそれはもう満面の笑みをかかげてた。本当にくやしかった。本当におれの親なのかと思った。そして何で母が退転したか探った。どうやら婦人部の中にネットワークビジネスをしてるものがおり、影で組織利用している事が発覚した。母は婦人部の中の虫につかまってしまった。信心がくるわせられていた。それを声を大にして猛攻撃をしたが、その出来事をうやむやに隠され、もみ消された。悔しくて、それでもさらに追求した。結局、何の謝罪もなく組織編成を大きく変えそれで決着がついたが、納得がいかなかった。その時は本当に怨しつの嵐だった。でもそのような事があってかだいぶ組織が良くなった気がする。本当にどうしようもないと思っていた婦人部長はその一件以来すごく人間革命した。とても見違えるような婦人部長になった。でも一番悪かったのは自分だと思った。しっかり最後まで面倒をみなかった私に落ち度があったのだと、猛反省した。 そんな中、私の病状はさらに悪化していった。仕事に行けなくなった私は悶々としていた。妻も病状が悪化しパートに行けなくなり収入源がなくなった。ローンが多少あったのでローン会社から催促の電話が毎日、何十回と鳴り響いた。消費者金融から借りたわけでもないのにすごい取立てだった。家にも来た。さらに消費者金融の勧誘まできた。なんでこいつらは私がお金に困ってる事を知っているんだと。普通の信販会社も裏では消費者金融、ヤクザが絡んでおり、社会の見えざる構造が見えた気がする。結局、金はヤクザ中心でまわっていて、その端末が金融会社であることが良く分かった。そしてもうだめかと思ったが、私はご本尊様さえあれば絶対に生きて行けると確信し最後まで題目一本、諦めなかった。そんな時仲のいいある組織の人から先生に手紙を書いてみればと言われた。始めはこんな情けない状態を報告しては申し訳ないと思いしぶっていたが、こういう時こそ報告するんだと言われ、ありのままを書き、お手紙を出した。そうしたら突然、暗黒が一気に晴れ、諸天が舞いに舞った。突然、妻の姉にものすごい大金が入り、全てのローンを立て替えてくれる事になり、また夏に妻が起こした車の事故で出ないと思っていた保険金が急におりることになり、今まで結婚してからずっと悩んでいた金銭問題が一気に解決。そして良い医者も見つかり、病状もよくなり、お金が少し余っていたので旅行にも行け、さらに今回は出来ないと思っていた財務も出来た。最高の功徳でした。お手紙を出したあと、創価班にメッセージを頂いた。その時のメッセージは「がんばれ、人生は勝負だ、わが道をすすめ、最後は必ず勝て」とあり、まさに先生から自分にメッセージを頂けたと思い、最後は必ず勝つと師弟の誓いをしたすぐ後の出来事でした。まさにこれが師弟なんだと思いました。師弟の力のすごさに感動しました。これが私の先生との原点です。 そして年が明け最高のスタートをきった。そして無事、創価班大学校を卒業した。昨年は大学校生でしたので、ほとんど、妻の相手をしてあげられなかったので、今年は一家和楽に妻と接していこうと思い、なるべく妻との時間を持てるようにした。そして正社員ではないが派遣の条件の良い仕事が見つかり、体の負担が少なく、給料が最高にいい、そんな結婚生活始まって以来いまだかつてない幸福な日々を送っていました。 しかしそんな日が長くは続きませんでした。ディズニーランドにひさびさに行き、円満かと思っていたら、突然妻が、家出したのです。私や、向こうの家族には色々な事の積み重ねでやになったと妻は言っていた。でも結局のところ本音はうつ病から逃げたかったようだ。確かにそう思うのは分かる。自分が良くなると妻が落ちこんで来て、妻が良くなると自分が落ち込んできてと、お互いに引っ張りっこしてる状態に嫌気がさしたのだろう。でもいつもの家出だろうとのんきにしていたら、いきなり離婚話にまで発展した。突然一人暮らし始めると言い出したと思ったら、なぜか、婦人部の皆さんが突然家に押しかけ、あれやこれやといううちに家財道具をもって行き、ご本尊まで送ってしまい、ほとんど離婚状態になってしまった。妻はここまで出来るはずはない、誰が知恵を与えているかと探ってみたら、どうやら向こうの家族であった。それが本当に分かったのは、最近だが、前からそうだろうと思っていたが、そうだった。私は色々悩んだ。男子部の同士は離婚しない方がいい、婦人部は離婚した方がいい。よけいに訳が分からない。一方的に離婚を望んでいた妻はうつ病と認めず、病気に立ち向かおうとせず、信心もしようとせず、ただひたすら私のことを悪口めりし、私のことを、頼りない、将来が心配だなどと言い、周りを自分の味方につけ、意地でも離婚しようとした。だが周りの人間は卑怯だ。一人じゃ何も出来ない妻に、一人暮らしさせ、いつうつ病が出るか分からない。向こうの家族は母以外信心がなく、家族もまとまりがなくどうしようもないのに、妻が私と離婚して一体誰が責任を持つのかと。結局私は、それが気がかりで、離婚を拒否し続けたが、最後に負けてしまった。もういい加減に疲れ果て投げ出すかのように、離婚届に印をついてしまった。結局それでよかったのだと言い聞かせながら、私も一人で暮らしている。一人はとても寂しい、実家に入ろうとしたが、父に拒否された。一人暮らしのうつ病との闘いは半端じゃない、話す相手がいない、幸いながら組織でうつ病の理解者がいるため、なんとか地区リーダーとしてやらせて頂けてる。 そして内部の紹介でオボ先生とも出会う事が出来た。オボ先生に言われたのは、今こうして病気にかかっているのは、自分の生命の間違いに気づく為になっている。そして今が気づく時なんだと。それに気づけた時全てが開けると。そして自分を好きになる練習法を教わった。それはカズちゃん大好きと1日に千回言うようにいわれた。確かに心を込めて自分に向かってかずちゃん大好きと言うと、胸の真ん中辺があったかくなる。言えば言うほどあったくなる。そのあったかいな〜うれしいな〜と思う心を信じる心を信心と。それが強くなると信心強じょうと。ようやくうつ病克服への確かな糸口が見えた。今まで自分を粗末にしてきた。自分さえ我慢すれば、ここを乗り切れば、信心やればやるほど踏んだりけったりとなった。なぜそうなるのかオボ先生にそれは自分という仏の命を攻めていたがための法傍と言われた。それから自分を大事にしなくてはと心がけてきた。そこでまた疑問がわいた。不惜身命をどうとらえるのかと。よく不惜身命の精神でとある。どうやら勘違いしてとらえていたようだ。決して自分を犠牲にしてという意味ではないらしい。オボ先生に勤行の如来寿量品第十六の中の不自惜身命の前後になんと書いてあるかといわれた。前には一心欲見仏、後には時我及衆僧 倶出霊鷲山とある。言われた内容はよくは忘れたが、自分の仏という生命を最高に輝かせながら、余計な煩悩をすべて菩提に転換させた状態を不惜身命という。ちょっと聞き憶えている解釈が微妙なのだがそんなような意味だと言う。やはり信心は正しい実践の仕方やとらえ方が自分に必要のようだ。オボ先生に信心してておかしいと思う人は信心がおかしいのではなくて、実践の仕方がおかしいと言われた。決して学会や信心はおかしくないと。そして自分も間違った実践をしていたようだ。どうやら私はご本尊を自分の外に置き、おすがり信心していたことに気づいた。あくまでも御書に書いてあるとおり己心の中にあることを深く肝に銘じた。頭ではなんとなく正しい実践の仕方がイメージ出きる様になってきたが、行動に移すのはなかなか難しい。分かったようで分かっていないまだまだな自分です。 それで軌道に乗ってきたと思ったら、これがまた元妻から半年ぶりに連絡があった。きっと、元気にやってると思い、会ってみた。そしたら元妻は最悪の状態になっていた。もう逃げる場所もなく、かなり鬱の症状が悪化していた。かなりの借金もしたようで、どうしようもなくなっていた。私は悩んだ。どうすればよいか。そしてこうなるのは分かっていた。なぜ私はあの時離婚届けに印を押してしまったのだろうと。また自己嫌悪におちいってしまった。私は何とかしてあげたかった。どんな暮らしをしてるか見に行った。まっとうな暖房もなく一日で風邪引きそうな粗末な状態だった。だからあったかい暖房器具を用意した。少しはまともになった。でももうあの家族に元妻を任せてはおけないと思った。誰もうつ病に理解がない。信心している母でさえも。そしてそのまま妻の母に会いに神奈川まで車を走らせた。うつ病に関して話をしたがまったく理解しない。ただわがままなだけだと。この人は本当に信心しているのだろうかと思った。気持ちの持ちようで済ませられたら、なんでこんなに苦しい思いをしなくてはならないんだ。好きで苦しんでるじゃないんだぞ。うつ病に一度なってみるかと言いたくなる。妻の母に一度言われた事がある。結局はお金がないと何も出来ないんだよと。確かにお金がないと生活は苦しいが生きていけないわけではない。お金はあくまでも手段の一つだ。命あってこそ生きている。それが信心の根本ではないかと私は思う。お金よりも人だと思う。心だと思う。だから、私は元妻とまた一緒に暮らし、一緒にうつ病を治して、一緒に信心して行こうと思った。元妻も同意した。しかし向こうの家族は反対した。反対しているのは一番は兄弟かと思ったが、母であった。私には母は「私は信心してるからあなたの言う事が理解できるけど、兄弟は信心してないから理解してもらえないんじゃないか。兄弟にお金も借りてるし私に発言権はない」と言われ兄弟を説得するかと思い、埼玉に帰ってきた。そして次の日私はいない事にして、元妻の母と元妻の電話の内容を聞かせてもらった(というよりも、スピーカーからの声が聞きたくなくても聞こえてしまった)そこで私は話の内容に驚いた。私を折伏した母の言葉から私の事をあんなやつ呼ばわりで散々ひどい事を言っていた。そんなやつとまた一緒に住むなんてどういうことだと。私は怒りと悲しみを行き来した。私を何のために折伏したのか。私が信心でがんばってきた事は何だったのか。病気ながらも一生懸命働き、一生懸命信心し、実証を示し、先生から頂いた大事なお写真を感謝をこめて母にプレゼントしたのは何だったのだろうかと。その時は私はなんて人に折伏を受けたのか。信心して宿業が出たらさようなら。なんて無慈悲な。信心していますというのは見せかけやたてまえで、本音は違ったんだなと。怒りが恨みになって私をおそった。すさまじい怨しつの嵐がまた吹き荒れた。それからもう私は元妻のことはどうでもよくなってしまった。でも頭を冷やして指導を受けた。折伏してくれた人がどんな人でも怨んではいけないよ。相手がどう思うと少なくても今信心しているのはその人のおかげなんだから感謝しなくちゃだめだよと言われた。そのとおりと思ったが究極な感情だった。私に最善の事をしてくれる人は、私に最悪な事もする。こんなパターンが多いのでいつも究極の感情だ。そしてまた妻と一緒になることは本当に幸せかどうか考えてみてはと言われた。私はまた悩んだ。確かに私は一緒にらなくっても幸せになれる。なぜかと言えば何があっても退転しないからだ。信心し続けるからだ。今まで勤行さぼった日はない。しかし元妻は今は一緒になっても、また元気になれば病気を忘れまた家出を繰り返すだろう前からそうだったからだ。そして変わるにも信心する気まったく無し。楽な方、楽な方と逃げる癖があり、向こうの家族の悪知識に触れると、もともこもなくなる。一生くっついて離れての繰り返しも勘弁だ。だから私は手を引く事にした。私はもう何もしえあげられないが、毎日最高のお題目を送っている。絶対に幸せになってくれと、そして妻の母には正しい信心が出来るようになって欲しいと。無責任に感じるかも知れないが、この一件で私はまた鬱を悪化させ、また仕事が出来なくなり、振り出しに戻ってしまった。だから元妻と一緒にやってく自信が最初はあったが、今は自分の明日を考える事で精一杯です。そして元妻も私と話すとおかしくなるみたいで連絡出来ないように、しないようにしてきました。完全にまたしても負けてしまった。目の前の一人を幸せに出来ない私が、情けなくて、恥ずかしくてたまらない。また自己嫌悪に落ちる。 そんな時私はBOROの自叙伝を読んだプロペラのない飛行機を。私は感動しました。そしてありのままで生きる事を教えてもらえました。私はきれい事を並べて本当の自分をいつも隠していたような気がします。うつ病にかかってから仕事は点々として履歴書は恥ずかしい内容だし、その他様々恥ずかしい内容ばかりだ。私はばついちで、仕事も定職につけず、さらにうつ病で、体重増えてかなりやばい。でもこんな状態で生きてる俺はすばらしいと思う。普通だったらこんな人相手にしてもらえないですよね。でも学会の同士や、同じ病に苦しんでる人ははそんな私を迎えてくれる。こんな私を求めてくれている。すばらしい人達だ。 そして学会の中で音楽で活躍されてる方を妙音菩薩というならば、21世紀の病といわれているうつ病にかかっている我々をなんというか。我々こそ薬王菩薩である以外なんであるか。自ら病気にかかり、それを克服し、同じ病気の人を救い行く薬王菩薩の使命以外に何があるというのか。この最高の使命をまっとうしようではないか。まずは何があっても、生きる事だ。生きて生きて、生きた証を見せようではないか。どんなボロボロで生きようと、世間から冷たい眼差しがあろうとも、こんなに苦しいうつ病なのに生ききっている姿がどんなにすばらしいか、その価値は無冠の友にひってきするぐらい、すばらしいと私は思う。死にたいと思うかもしれない。何もかも信じられなくなるかもしれない。そんな時はもう一度原点に返ってみよう。私のように何か見つかると思います。そして例えどんな事があってもご本尊と師匠である池田先生との師弟を疑ってはならない。例え誰かが何を言おうとも、ご本尊と自分、先生と自分、その間には何人たりとも入る事は出来ない。そして同士の怨疾だけは絶対にしてはならない。これさえ間違わなければ何も問題はない。これだけは共々に確信していきたい。例えどんなに苦しくても。 最後に、同じ病になっている皆様共々に、この病気が社会に理解される先駆者となることを、深く御祈念して終わりたいと思います。 |
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