大百蓮華5月号のP105に掲載されていた文章をアップします。
病状が悪くなると過去のことがぐるぐると駆け回りますよね。そんな時は「また、はじまった」で終わらせてこの先生の確信の言葉を思い出したいですね。 ____________________________________________________ 「信心とは、過去から現在、また現在から未来への幸福を照らし出す道です。 『過去の因』に縛られ、『現在の果』を嘆く人生は不幸です。 確かに、ある一面では『過去の因』があって今がある。 しかし、今の自分の境涯を高めていくことで、過去の因は悪因ではなくして善因となる。 過去に囚われない。いな、過去さえも変えていくことができるのです。」 【2010/06/07(Mon) 10:20:00 投稿者修正】
2010/06/07(Mon) 10:16:17 [ No.2573 ]
キヨミさん、こんにちは。
そうですね^^ だいぶ前に私はこう思いました。 喜び、悲しみ、楽しみ、正義の怒り、苦難からの飛翔、数少ない幸福を心の真ん中におき味わい、それら全ては人生の彩り。 その後、とても不幸な過去は、全て幸運なことになりました。 この仏法は、過去をも変えることができる仏法と確信しました。
2010/06/07(Mon) 17:10:18 [ No.2574 ]
|
昨日、テレビで「魂とはまごころのことだよ。」と言う
台詞を聞き感動しました。 日蓮が魂と言う御金言の前後がわからずに変な解釈 になってしまうかもしれませんが、このご本尊は 大聖人様のまごころなんだとおもったらなんだか 嬉しくなりました。 解釈がまちがっていては大変ですね。 でも、許してもらえる範囲かな? 【2010/05/18(Tue) 09:09:43 投稿者修正】
2010/05/18(Tue) 09:08:05 [ No.2555 ]
こんばんはミンチです^^
私もそこまで博学な方ではないので、申し訳ないのですけれど・・・。 法華経の法華七比喩の三番目『三草二木の比喩』と言うあります。 ブッダの教えは雨のように等しく与えられるが、そこから育つのは草木、花々と多種多様なものになる。 ・・・と言う話です^^ ブッダの教えにしろ、日蓮大聖人や池田名誉会長にしろ。 それぞれの教えには人によって受け取る形が多種多様になる事でしょう。なって当然だと思います。 同じ人なんて、この世界には居ないんですから^^ ですから、キヨミさんが「まごころ」とおっしゃられるならそのとおりなのだと私は思います^^ ・・・まあ、例え間違っていたとしても。 それに気がついたら直せば良いだけの話ですしね^^
2010/05/18(Tue) 21:09:27 [ No.2556 ]
こんばんは。ミンチさん。
あたたかいコメントありがとうございます。 私、ご本尊様の前に行くと時々緊張してしまうときがあるのですが、そんな時に「まごころ、まごころ」と思うようになりました。あたたかい気持ちになります。 【2010/05/20(Thu) 20:16:31 投稿者修正】
2010/05/20(Thu) 20:16:05 [ No.2560 ]
世法でいう道理
仏法でいう道理 これは、すこし違っていると思います。 仏法では仏のキョウガイを目的としており 世法においては人と人とのおつきあいの法を云うことが多いです。また、単に心の持ち方を説く場合もあります。 すなわち、世法による道理は道徳・倫理が主体であるのに対し、仏法での道理は命を主体にしています。 シキシンフニ、エショウフニ、諸天善神の加護など 生命の法則、宇宙の法則だと思います。 それをユゲンする基はご本尊への帰命であり、一体と思います。 本尊が間違っていたら、悲惨にります。身延日蓮宗のように、ノイローゼ、うつ病、躁鬱病などの精神疾患という現象になると思います。
2010/05/21(Fri) 05:11:02 [ No.2562 ]
すみません、たかこさん。
難しすぎて理解できないでいます。 レスもいろいろ考えたのですが、レスの内容がどうもシックリこなので書いたのを全部消しました。 だから素直に、、、すみません、理解できないでいます。 【2010/05/21(Fri) 16:22:36 投稿者修正】
2010/05/21(Fri) 16:21:48 [ No.2563 ]
こんばんは、ミンチです^^
え〜と。本尊の話題に関しては、先にも述べました内容で私の意見は基本的には変わりありません。 それに間違っていたのなら直せばいいだけ。と言うのもまた、変わりありません。 ただ一つだけ言えるのは、間違いを直すのに遅過ぎる事は無いと私は思います^^ まあ、それはそれとしまして。 世法の道理と仏法の道理の事ですけれど。 たかこさんがおっしゃられるとおりに二つには違う点こそありますが、切っても切れない間柄のような関係性である事は間違いありません。 人付き合いの悪い仏だなんて、そんなの想像する方が難しいですしねぇ。 生命の真理やら何やらを理解できる仏が、一般的な常識や道理を理解できないはずもありません。 ・・・まあ、当たり前なんですけど^^; まあなんにしても。 世法の道理を理解できずに、仏法の道理を理解できるはずもありません。 まずは世法の道理を理解して、はじめて仏法の道理も理解できる。と私は思います。 ですから二つには違いこそありますけれど、二つともに大切なものですよね^^ 【2010/05/21(Fri) 19:45:25 投稿者修正】
2010/05/21(Fri) 19:15:34 [ No.2565 ]
たかこさん、こんばんは。
私は創価学会に入る前は、身延の信心でした。 身延の御本尊の前でも、題目を上げました。 私の中で、しっかりと理解できていることは、同じ「南無妙法蓮華経」なのに、ものすごい違いがあるんです。 理論では説明できません。 違いを表現言葉で説明するならば、身延の御題目はざわついているような感じと、上げ終わった時に題目を辺りに散らかした感じで落ち着かないのです。 学会の題目は、凛としている感じで、上げ終わった後に落ち着いた静寂を感じるのです。 日蓮大聖人様は、今の現状のどこまで読めたのだろうか?そんな疑問が頭をもたげます。 教学については未熟者なので、間違っているかもしれませんが、妙法蓮華経に南無するが正しいのではないのでしょうか?つまり妙法蓮華経に帰依すると言う意味です。
2010/05/22(Sat) 20:08:21 [ No.2567 ]
|
すみません。
小説人間革命で戸田先生が紙の調達に苦労した記憶があって、 それは御書を作るためだったと記憶しているのですが、 自信がなくなりました。 御書は戸田先生をはじめとする創価学会が 中心となって作られたのではないのでしょうか?
2010/05/08(Sat) 16:56:54 [ No.2545 ]
そうです。
当時は物資が不足していました。 そして、御書を1冊の本にまとめるには薄くて丈夫の髪が必要でした。 御書を作られたのは、御書の最初の「序」を書いた方(実に謙虚な方ですね)が中心です。 創価学会員をはじめとする多くの方たちは、それに賛同して資金を出したと私は、記憶しています。
2010/05/08(Sat) 23:03:53 [ No.2547 ]
教えていただいてありがとうございます。
よかった。記憶間違いではなかったのですね。 最近、記憶に自信がなくなって来ていて、たかこさんの 文章で戸田先生が御書を読まれてと書かれてからズーッと こころがもやもや状態でした。 それから、「序」を読んだことなかったです。 今、ページをめくっているのですが、この方私、古い大白で拝見したことあります。小柄な方でした。 「序」の箇所、読んでみます。 それにしても、学会ってほんとうに凄いですよね。 私たちが教学にいそしめるのも戸田先生や学会があってこそですよね。
2010/05/09(Sun) 16:29:03 [ No.2549 ]
戸田先生は
総本山外護 大ご本尊様を守る 僧侶を守る と誓いました。 御書は創価学会が力を貸したことは事実ですが、ご住職の力によるところが大きいです。 戸田先生の残した創価学会、しかし、池田になって総本山に資金使途を見せろ、とか、SGIをつくるから、総本山は傘下に入れ、とか、総本山の外護ではなて乗っ取り作戦。戸田先生の命を受け継いでないと思います。 そもそも創価学会で戸田先生が75万世帯折伏の声をあげたのはお寺なのです。 戸田先生が今の創価学会の基礎を作りました。 池田は一時期は800万世帯といってましたが、退会証明、本尊返却証明を発行しませんのて、実態は不明です。
2010/05/10(Mon) 06:40:33 [ No.2550 ]
シリウスさんが教えてくださったページの前のページに戸田先生の
「発刊の辞」がありました。 最後の箇所に 「この貴重なる大経典が全東洋へ、全世界へ、と流布して行く事をひたすら祈念して止まぬものである。」 と、書かれていましたよ。 御書にかかれたこの言葉こそ戸田先生のお心ではないかなと思いました。だって、誰でも手に入り、見ることができる「公の本」にちゃんと明記されているんですもの。 >戸田先生が今の創価学会の基礎を作りました。 たかこさんがそう思われているならば、余計に思います。 なんの為の基礎か・・・ この仏法を世界へ・・・戸田先生の意はここにこそあると思います。 【2010/05/10(Mon) 10:13:13 投稿者修正】
2010/05/10(Mon) 10:04:57 [ No.2551 ]
たかこさんへ
> 池田になって総本山に資金使途を見せろ、とか、SGIをつくるから、総本山は傘下に入れ、とか、総本山の外護ではなて乗っ取り作戦。戸田先生の命を受け継いでないと思います。 これは事実誤認です。宗門との関係は戸田先生の時から同じです。学会が莫大なご供養をしましたが、その使途については、一切口出していません。 また、SGIについては、「国際的に開かれた宗風になって頂きたい」と、お願いしただけです。それを日顕は「軽慢謗法だ。懲罰にかけるから」と言ってあくまで高圧的な態度だったのは宗門です。 正本堂破壊等までして学会が嫌いなのなら、学会のご供養を学会に返すのが筋です。金だけ取って切り捨てる、破壊する。今の宗門は決してほめられたものではありません。堕落し形骸化した宗教団体と、人の心に活きた宗教団体とでは、比較になりません。 > 退会証明、本尊返却証明 これは社会通念上、脱会届けや、返却の受理した時の口答で十分です。 ここまでおっしゃられる道理はありません。 おそらく、会員数を増やせばそれでいいから、脱会しても数に加えておけと、考えておられるのかもしれませんが、十数年前に池田先生が本幹の衛星放送で、「学会は200万だ」と言ったこと、またテレビの朝生で、故西口広報室長も言ったように「学会は200万」です。あれから増えましたから、現在の実際の数は2、300万と考えるのが妥当です。学会は公称数を豪語するものでもないし、内部のしっかりした質と数をしっかり統監している組織です。 折伏のやり方は、戸田先生時代と、池田先生の衛星中継が始まるまでのやり方の方が、現在より過激でした。 たかこさんが池田先生を見る目は歪んでいると思います。学会員の狂信的な見方や、それに対する反発で色眼鏡に。本幹の衛星中継は行かれてますか? 正視眼で、人物は評価なされるべきです。 私は、池田先生の会合に何度も入ったことありますし、一緒に勤行も、食事もしました。また直接会って池田先生とお話したこともあるし、私はスピーチで池田先生に誉められたことがあります。 ネット上ではおそらく私が一番池田先生のリアリティを知っていると思います。 【2010/05/19(Wed) 14:21:59 投稿者修正】
2010/05/19(Wed) 13:56:16 [ No.2557 ]
Jonathan さんの御指摘で気になった点がございます。
池田先生が衛星中継で仰せられたと言う会員数・世帯「200万」と、故・西口さん述べられた「200万」は初めて知りました。 確か、西口さんは「1000万人がやめた」と述べられたと私は記憶しております。 さらに、2002年の新年勤行会では「600万人」が参加しており、参加者は、以後500万人前後を推移しております。 果たして、学会員は何名居るのでしょうか?
2010/05/20(Thu) 00:06:45 [ No.2558 ]
下記文書は、『フェイク』紙が掲載した戸田先生のインタビュー回答です。
ちなみに、この戸田先生の回答は、『慧妙』編集部は探せていません。 『フェイク』 第867号 (発行=2007.11.01) 前省略 さて、戸田会長は、後呂ごときが「弟子」だと言っても一喝し、追放するに違いない。「戸田先生の弟子」と称する後呂と、その一派に同会長の斬新な指導を教えてあげよう。聖教新聞や大白蓮華ではなく、ある宗教専門誌に掲載された内容だ。いつ、何に掲載された指導なのかは「慧妙」編集部でも総動員して探してみよ。 戸田会長 宗門人でも馬鹿な奴がいて謗法者と変わらないのがいる。これは始末が悪いから、我々の手で折伏してやるのだ。今の宗門人には、まともなのはおらんよ。 ――それは宗団の指導を学会がするという意味か? 戸田会長 そうだ。宗団重役会の席上、管長以下の重役に話しておいたが、こうなんだ。宗団の信仰、教義上の指導は私が全部やる。僧侶方は本山の守護と、儀式、掃除の役目だけを受け持ってくださいと、ちゃんと声明しておいたよ。 ――それでは宗団の自主性がないのでは? 戸田会長 宗団に自主性なんてあるもんか。それがあるなら今までに、こんなに宗団が衰微していなかったはずだよ。(以下略)
2010/05/20(Thu) 00:20:31 [ No.2559 ]
供養とはいわゆる寄付とおなじで使途につてい言及すべき性質のものではないと思います。
あまり関係 はありませんが、相続税法においては限定承認による相続という規定、保証人には極度額の設定などの世法があります。万が一、当事者が破産た場合、その人への請求権は消滅します。 日達ゲンカの映像をみましたが、そこで創価学会が資金使途の説明を求めていることをはっきりと言われています。 池田は多々指示されたのか、矢野前書記長の黒い手帳、富士墓苑での暴力団の関係、また、野間県長事態に「ヤクザと話しをしないといけない」などのことを聞いたことがあります。 人と人が接する時は、自分を良く見せようとする心理が働くことが多々あり、面談だけでは、その人のことを知ることは困難でしょう。 池田が祈る対象物を日蓮の弟子の書写を基とするならば、その宗門を守るのが筋でしょう。 でなければ、池田が本尊を作り、それを祈らせるのが筋のようにも感じています。 彼は200以上の称号を得ながら、また、世界的な貢献をしていながらも、ノーベルには無縁であり、カルト教団と呼ばれています。 寂しいことです。 80歳を過ぎても後継を定めず、池田王国を意地しようとする姿は、ある面では、あわれな姿としかみえません。 選挙などでは太田氏がとても信頼のおける人柄と感じ多々応援してきましたが、今は、池田の存在が目に映るばかりです。
2010/05/21(Fri) 05:01:44 [ No.2561 ]
カルト教団ではありません。
今、電子辞書でカルトの意味を調べたらそれにあてはまりませんでした。ごく普通の宗教団体です。 信・行・学をまじめにやっている団体です。(全員ではありませんが、、、自己反省、、、、。) 日蓮大聖人様の教えは生命を輝かせ、強くします。 だから、目立つかもしれませんが、他の宗教団体と なんら変わりません。 【2010/05/21(Fri) 16:40:07 投稿者修正】
2010/05/21(Fri) 16:36:47 [ No.2564 ]
戸田会長、池田他 自分で本尊を作ったらいいんじゃないでしょうか。
ただ、日蓮大聖人様のご意思「日蓮が魂を墨に染め流して候云々」とは、反すると思いますけどね。 とても恐ろしい気持ちがします。 身延日蓮宗以上の恐ろしいことと思います。
2010/05/21(Fri) 20:07:03 [ No.2566 ]
たかさんの本尊感は何の根拠に基づきご指摘されていますか?
日蓮正宗の正依に基づきお答え下さい。
2010/05/23(Sun) 21:32:17 [ No.2568 ]
|
今、題目をあげていてフト心に光ったことがありました。
「未来がわからないなら、今がわかるはずがない」と言う 声でした。 なんだかとても心がワクワクしています。 御書にある「夢と思いなさい」と言われていることは、 このことだったのでしょうか?・・・違うかしら?
2010/05/06(Thu) 16:02:51 [ No.2541 ]
御書のどの部分か明確に書けば、応えてくれる方がいることでしょう。
過去は過ぎ去ったもの、未来はまだ来てはいない。 今現在、キヨミさんがいる場所を光り輝く場所と決め、そう変えていくことが大切ではないでしょうか? それには、自分の置かれている状況を知ることではないですか? この信心は外道ではなく、内道の信心であり、誓願を立てて行く信心です。
2010/05/08(Sat) 22:51:01 [ No.2546 ]
記憶があいまいで「夢のごとし」と言う御文しかおもいうかべないんです。
こんな一言では難しいですよね。すみません・・・。 それから、「未来がわかないなら今がわかるはずがない」と言う言葉を日記に書き込んだときにフト思い浮かんだのが「変毒医薬」でした。 今の状況や現実を見て「自分で」不幸であるとか、罰であるとかそんながわかるはずが無いってことです。 つまり、今の現実が花を咲かせる為の転機になるかもしれないと言う変毒医薬の心を題目を通じて大聖人様が、「なげくことはないよ」と応援してくださったのだと思いました。 >誓願を立てて行く信心です。 この言葉。 シリウスさんや学会員の方がよく言われている「誓願の信心」ってよく理解できていないところがあります。 詳しく教えてもらえれば嬉しいです。 それから、文学のところに日記を書き込んでおきます。 読んでもらえれば嬉しいです。 たぶん、「未来の約束」と言うのが誓願かも? 追記 すみません。文学のところにアップしたのですが、削除キーの設定をしないままにアップしてしまい編集できません。 題名を「希望」とします。 【2010/05/09(Sun) 16:18:59 投稿者修正】
2010/05/09(Sun) 16:08:10 [ No.2548 ]
題名のところを管理人さんが直してくださいました。
管理人さんありがとうございました! 【2010/05/11(Tue) 10:03:40 投稿者修正】
2010/05/11(Tue) 10:02:43 [ No.2552 ]
断りなく、私が直しました。
どういたしまして。
2010/05/11(Tue) 21:05:50 [ No.2553 ]
|
| Page: | 1 | 2 | |
|
|
- YY-BOARD
- icon:MakiMaki
- Antispam Version -