| いいの見つけた! 投稿者:明太スパ 投稿日:2010/03/16(Tue) 16:14 No.2441 | |
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| がんばるお(´・ω・`) 投稿者:たかひろ 投稿日:2010/03/16(Tue) 15:22 No.2440 | |
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| 生きてるんだ。 投稿者:たかこ 投稿日:2010/03/12(Fri) 22:32 No.2432 | |
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4日連続して動いた。
ある日はヴァイオリンのレッスン ある日は精神科の病院へ往復6時間の旅 ある日は性同一性障害の会合へ ある日は吹奏楽団の練習へ
そして その日はやってきた。
動けない! 食事もとれない。 眠い が うつろつろな睡眠状態 薬を飲む気力もない。
もうダメだ。
しかし
生命力は残っていた。 ふらふらになりながらも3日目には起きた。 いや 座り込んだといった方が良いかも。
そんな状態であっても 決して自分を責めたりはしない。
3日目で立ち上がろうとしたこと それを自分で誉めている。 「よく頑張ったね」 「すごいね」 ってね。
病に倒れて悔やむよりも 今を生きたこと 自分を誉めようよ。
かけがえのない
自分の心を
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| Re: 生きてるんだ。 シリウス - 2010/03/15(Mon) 09:53 No.2438 | |
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たかこさん、おはようございます。 読みだしの最初はとても、びっくりしました。 でも読み進めるうちに、安心しました。 大丈夫。 自分の命を大切にしているたかこさん、深い優しさを知ったたかこさんだもの、ダメになるわけがないと私は信じられます。 きっと、人より静の部分が大きく反応するのではないでしょうか? 心のエネルギーの使い方、お互いに上手になれたらいいですね?
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| もしかしたらチャンスなの... 投稿者:たかこ 投稿日:2010/02/28(Sun) 16:59 No.2403 | |
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仏教は生まれ変わりがあると説く。
肉体が滅びると地水火風空となりつつも、それらは宿業によって結ばれている。 そして生まれ変わるところは宿業よよって決まっており、宿業をもったまま生まれる。 その宿業は善業もあれば悪業もある。
さあ
はたして、身体障害、知的障害、うつ病、躁鬱病、などの障害や病は悪業のゆえだろうか。
ひとつの考えだが
善業によって悪業を消すチャンスを与えられてこの世に生まれてきた。
という考えもあるのではないだろうか。
人が人として成長するのは大きな壁や大きな病などの経験がおおきい。 また恩師からの指導ゆ影響によって人としての成長があるのではなかろうか。
うつ病には大きく分ければ2つある。
1つは、もうダメだ、限界だ、生きてるのがしんどい、など自分の中に問題をかかえる。 2つは、あの人が悪いから、社会が悪いから、と外に病の原因を追いかける。
1つ目は休息がとても大切だと思う。 2つ目は宗教や道徳を学ばなければ病は良くならないのではなかろうか
いずれにせよ、この世に生まれたのは大きなチャンスといえよう。
休む時はしっかりとやすむ。 けっして自分を責めないし、環境も責めない。
休むことは「無から有を作り出す」ための大切な時間と思う。
人として生まれたことが「最大のチャンス」なりかもしれない。
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| Re: もしかしたらチャンス... 凡人 - 2010/03/02(Tue) 23:47 No.2410 | |
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存在の原理とは陰があれば陽があり、陽があれば陰があるように、互いが存在することでバランスを保っています。
世の中には矛盾することなど何一つとしてありません!全てが存在としての秩序の過程であると説きます。 |
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| 感ずるもの 投稿者:たかこ 投稿日:2010/02/27(Sat) 23:48 No.2400 | |
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不思議と仏教(基本的には法華経)は身を持って感じることができるけど、キリスト教の教えがサッパリ触らない。
ところどころ、うなずくことができるけど、それって道徳、人道じゃないの、って思う。
キリスト教の教会(プロテスタント)や実戦倫理の朝起会に行ったりしてる。聖書や実戦倫理の本も読んでる。
実戦倫理の教えは身を持って感ずるところがある。 なぜキリスト教は感じないのだろうか? 不思議と思う。
私には宿業があり、身体障害になったのも、精神障害になったのも、過去世の因縁による宿業からくるものと思っている。 見えない力に動かされているように感じている。 そして この世に生まれたのも因縁であり、善業を積む機会を、過去世の宿業(善業)によって与えられたものと感じている。
精神疾患によって、音楽療法として始めたフルート。 そのフルートを持って身障施設や老人ホームへ行って演奏した時、聴いてくれた人たちの笑顔が忘れられない。 その時、もしかして、私には何か使命的なものがあると強く感じた。
身体障害に泣き、精神障害に泣き、泣く日がおおい。 その中で知的障害の人たちとの出あいがあり、身体障害や精神障害の苦しみをある程度、理解できるようになった。
もしかしたら、「人として成長した」のかもしれない。
まだ多くの人の助けが無ければ出来ないことが多い。
出来ないと嘆くよりも 出来たことを喜ぶ方が 命が躍動すると感じている。
残された人生 本当の人生は今から始まるのかもしれない。
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